2011年10月15日土曜日

虚実篇・単独行動

 だから敵に形式(規律)があり、こちらは形式(規律)
にとらわれなければ、こちらは単独の行動ができ、敵は
各自の持ち場を離れられない。
 こちらは一つの目標に向かって単独行動し、敵は十の
役割を分担したら、その指揮をする者だけを全員で攻撃
すればいい。
 結果的に、こちらは多勢で敵は無勢になる。
 多様な個性を生かして、孤立した者を攻撃すれば、こ
ちらに味方する者は結束できる。
 こちらの攻め方は、敵には理解できない。
 理解できないから防備する者が多くなる。
 防備する者が多くなると、攻めてくる者は少ない。
 だから前後左右で持ち場を離れることができず、連携
した対処ができない。
 孤立すると人は防備するようになる。
 多様な個性を生かせば、敵に対して個人の判断で防
備できるようになる。

※この文章の中で一般的には「こちらの全兵力が一つ
となり、敵は分散して十の部隊になれば、それは味方が
十倍の兵力で、一つの敵を攻撃することになる」と解釈
されている部分がある。
 敵はなぜ十の部隊に分散するのか?
 それがどうして十倍の兵力で敵を攻撃することになる
のか?
 分散した一つの部隊を攻撃しているだけで、すべてを
攻撃しているわけではない。
 一読すると敵はこちらよりも兵数が多いように感じる
が、仮にこちらの兵数を100人とすると敵の10分の1
は10人。(100人で10人を攻撃するから敵の10倍)
それが10の部隊に分散しているのだから敵の全兵数
は100人でこちらと同じ人数になる。
 敵は二手に分かれて攻撃することはあっても10に分
散するとは考えられない。だから上記のような私の解釈
になる。
 これを実践したのが織田信長の「桶狭間の合戦」だ。
 駿河の今川義元が2万とも5万ともいわれる兵数で尾
張に侵攻してきた。それに対する織田信長の兵数は2
千人。
 今川軍の実際の兵数は定かではないが、誇大に吹聴
していたかもしれない。少なくとも織田軍よりも多勢だっ
たはずで、桶狭間に着く前に小規模の戦闘があり、今
川軍が勝利していることからも余裕があったのかもしれ
ない。
 だからまさか自分たちに攻撃を仕掛けてくるとは思っ
ていなかったのだろう。豪雨になったことで今川軍は足
を止め、雨のやむのを待った。
 雨がやんだと思ったその時、突然、織田軍が今川軍
の本陣になだれ込み、義元は討ち取られた。
 織田信長自身が既存のルールを破壊してきた人物な
ので、家臣にルールを守れとは言わなかっただろう。
 信長の家臣は単独で戦地に赴くことも多く、信長はそ
の力量を試していたふしがあるぐらいだ。
 今川軍のほうは、軍の規律がしっかり守られていて、
義元や部隊長の命令で一糸乱れずに行動するといった
態勢になっていたと思われる。
 軍隊と軍隊の戦いなら今川軍のほうが圧勝するはず
だが、信長は義元1人を殺す2千人の暗殺者という発想
をしていた。
 暗殺者は単独行動するので、規律などない。どう行動
するかも予測はできない。
 今川軍の兵卒は、織田軍に攻撃されているとは分かっ
ても自分が攻撃されているわけではなく、規律により命
令がなければ勝手に持ち場を離れることはできない。
 指示待ちの状態で、あっという間に義元が殺されたら、
後は烏合の衆とかすだけだ。
 現在でもアメリカ軍がパキスタンやイラクで自爆テロに
あい、多くの兵士が無駄死にしている。
 アメリカ軍の兵士は軍の規律に縛られ、国際的なルー
ルにも束縛されているので、兵士の個々が自由に判断
して行動することができない。
 以前にも書いたが、テロリストは大国の作った国際
ルールなど守るはずがない。 
 そもそも戦争はスポーツではないのでルールなど何の
意味もない。


ゆえに人を形せしめてわれに形なければ、すなわちわ
れは専(あつ)まりて敵は分かる。
われは専まりて一となり、敵は分かれて十とならば、こ
れ十をもってその一を攻むるなり。
すなわちわれは衆(おお)くして敵は寡(すくな)し。
よく衆をもって寡を撃たば、すなわちわれのともに戦う
ところの者は約なり。
われのともに戦うところの地は知るべからず。
知るべからざれば、すなわち敵の備うるところの者多し。
敵の備うるところの者多ければ、すなわちわれのともに
戦うところの者は寡し。
ゆえに前に備うればすなわち後、寡く、後に備うればす
なわち前、寡く、左に備うればすなわち右、寡く、右に備
うればすなわち左、寡く、備えざるところなければすなわ
ち寡からざるところなし。
寡きは人に備うるものなり。
衆き者は人をしておのれに備えしむるものなり。

故形人而我無形、則我專而敵分
我專爲一、敵分爲十、是以十攻其一也
則我衆而敵寡
能以衆撃寡者、則吾之所與戰者約矣
吾所與戰之地不可知
不可知、則敵所備者多
敵所備者多、則吾所與戰者寡矣
故備前則後寡、備後則前寡、備左則右寡、
備右則左寡、無所不備、則無所不寡
寡者備人者也
衆者使人備己者也