2011年12月15日木曜日

九地篇・敵を味方に

_だから、戦争に慣れた者は、例えば、ことごとく対応する「卒
然」のようだ。
 卒然といえば、常山の蛇がそうだ。
 その首を叩くと、尾が反撃してくる。その尾を叩くと、首が反
撃してくる。その胴体を叩けば、首と尾が一斉に反撃してくる。
 あえて質問するが、
 戦争を卒然のようにすることはできるか。
 もちろん、できます。
 それは、呉国の人と越国の人が、お互いに憎んでいても、船
で二人が、たまたま一緒になって行く時に、嵐に遭い、命の危
険にさらされたら、お互いに助け合う姿は、左右の手のように
なった。
 だから、馬車の馬を連ねて、車輪を固定して止めても、それ
だけでは頼りにはならない。
 勇ましさを同じにして一心不乱にするのは、政治のやり方で
ある。
 男と女のすべてを得るのは、地元の理解である。
 そこで、戦争に慣れた者は、手をつながせて、一人を用いて
いるようにする。
 やむを得ない状態にするからだ。

※ここでは、敵の兵卒や民衆を味方につけて、こちらの兵卒
たちと対立せずに、同じ利益のために戦うようにする大切さが
書かれている。
 それは、たとえ領土を奪っても住民すべてを殺すわけにはい
かないし、奪った後の政治が悪ければ、ふたたび戦争になる
だけだからだ。
 たんなる侵略者ではなく、誰もが平和に暮らすことができる
社会を築くために、やむを得ずおこなう戦争にする。
 敵国のすべての者が自分たちの政治を善いとは思っていな
いはずだから、そうした不満のある者たちを助けるという目的
にすれば、地元の地理に詳しい者の助けを得ることができた
り、支援物資も手に入れやすくなる。
 北方領土にしても日本とロシアで奪い合うという発想では解
決しない。
 現実問題としてロシア人が住んでいるのだから、その人たち
を無視することはできない。
 ロシアは日本と共同で開発したいと考えているのだから、日
本は積極的に協力するべきだ。
 日本の元島民は、ロシア国籍を特別に収得できるようにして、
北方領土に住めるようにすれば、呉越同舟のように、お互いに
理解しあえるだろう。(日本が元島民の多重国籍を認めれば、
北方領土を放棄したことにはならない)
 また、沖縄のアメリカ軍基地問題などは、日本政府が誰に味
方しているのか、まったく分からない。
 アメリカにいい顔をし、沖縄にもいい顔をしているから、問題
がこじれてしまう。
 いっそ、「沖縄を日本から独立させる」と言って、アメリカと沖
縄で交渉するようににおわせれば、沖縄はアメリカ軍を追い出
すことができるが、経済的損失をどうするかという問題が大き
くなる。
 アメリカは、基地の移転費用をどうするのか。沖縄を占領す
ることもできないだろう。
 結局は日本政府に頼らざるをえなくなる。仮に頼られなくても
日本政府は厄介な問題をなくすことができる。
 ようは、沖縄を平和な島にするには何をするべきかを真剣に
考える姿勢を示すことが、沖縄県民の支持を得ることにつなが
るだろう。


故に善く兵を用うる者は、譬(たと)えば率然の如し。
率然とは、常山の蛇なり。
其の首を撃てば則(すなわ)ち、尾、至り、其の尾を撃てば、則
ち、首、至り、其の中を撃てば、則ち、首尾、倶(とも)に至る。
あえて問う、
兵は率然のごとくならしむべきか。
曰く、可なり。
それ呉人と越人と相悪(にく)むも、その舟を同じくして済(わた)
り、風に遇うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし。
このゆえに馬を方(なら)べ輪を埋(う)むるも、いまだ恃(たの)
むに足らず。
勇を斉(ひと)しくし一のごとくするは政の道なり。
剛柔みな得るは地の理なり。
ゆえに善く兵を用うる者は、手を携うること一人を使うがごとし。
已(や)むを得ざらしむればなり。

故善用兵者、譬如率然
率然者、常山之蛇也
撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至
敢問、
兵可使如率然乎
曰、可
夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、
如左右手
是故方馬埋輪、未足恃也
齋勇若一、政之道也
剛柔皆得、地之理也
故善用兵者、攜手若使一人
不得已也