2011年12月15日木曜日

九地篇・領土保全

_行軍をして、敵領内の見通しが悪い場所まで行けば、たい
てい、迎え撃つ側は慌てる。
 食物などが豊富にある場所に潜んで、全軍の兵糧をまかな
い、警戒をおこたらず静養して活動はせず、意思を統一して
力を溜め、戦争の機会をうかがい、敵が謀略をできないよう
に実態を隠す。
 これをもし、敵を行き場のない状態にしてしまうと、死んでも
逃げようとしない。
 どうして死を恐れようか。
 体力のない知識人でも力を発揮する。
 兵士ならなおさら陥れると恐れがなくなる。
 行き場がなくなれば結束し、見通しが悪ければ連係し、どう
しようもなくなれば戦闘する。
 だから、これらがする戦争は、教えなくても警備し、要求しな
くても持ち寄り、約束しなくても信頼し、指導者がいなくても任
せることができる。
 幸運を頼みとせず、疑念をいだかず、死ぬまで退かない。
 男たちが、余裕のある財産を得ようとしないのは、貨幣が卑
しいと思っているからではない。
 命を惜しまないのは、長寿を卑しいと思っているからではな
い。
 死を覚悟した日には、誰でも座った者は涙を襟に落とし、病
に伏せて戦闘に参加できない者は涙があごを流れる。
 こうした者たちを行き場のない状態にすれば、諸ケイの勇ま
しさになる。

※この文章は一般的には、「味方の将兵を窮地に追い込めば
死にもの狂いで闘う」といった解釈をしている。
 味方の将兵を窮地に追い込んでどうするというのか?
 戦争のたびにそんなことをしていたら将兵の信頼を失うだろ
う。
 孫武が将兵を使い捨てのように考えていたとは思えない。
 それに、敵の領地に侵入した者と領地を守ろうとする者のど
ちらが死にもの狂いになるだろうか?
 進入した者は、帰る場所があるのだから、どんなに窮地に追
い込んでも余裕がある。
 守ろうとする者は、その場所しかないのだから死にもの狂い
になるのは当然だ。
 黒澤明監督の映画「七人の侍」でも、野武士集団に追いつめ
られた農民たちが武士を雇ってまで、自分たちの村を守ろうと
死闘する。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵でも、朝鮮では兵士ではなく、民衆が義
勇軍を組織して戦った。
 人は土地に執着する。
 どんなに劣悪な場所でも「住めば都」と言って慣れてしまうぐ
らい土地というのは大切なのだろう。
 だからこそ土地を荒らすような戦争は支持を得られない。
 そもそも土地を荒らしたのでは、後が大変になる。
 「自分たちは土地を荒らしに来たのではなく、土地を豊かにす
るために来たのだ」とアピールすることが、敵領民の支持を得
て有利に展開することができる。
 領土問題も「自分たちの領地だ」と言い争っているうちは解決
しない。
 誰が、その領土を豊かにできるかにかかっている。
 ロシアが北方領土を開発し始めたのは、そのことが分かった
からではないだろうか。


およそ客(かく)たるの道は、深く入ればすなわち専にして、主
人、克(か)たず。
饒野(じょうや)に掠(かす)めて三軍、食足り、謹(つつし)み養
いて労するなく、気を併(あわ)せ力を積み、兵を運(めぐ)らし
計謀して測るべからざるをなす。
これを往くところなきに投ずれば、死すもかつ北(に)げず。
死いずくんぞ得ざらん。
士人、力を尽くさん。
兵士、はなはだ陥(おちい)ればすなわち懼(おそ)れず。
往くところなければすなわち固く、深く入ればすなわち拘(こう)
し、己(や)むを得ざればすなわち闘う。
このゆえに、その兵、修めずして戒め、求めずして得、約せず
して親しみ、令せずして信ず。
祥(しょう)を禁じ、疑を去り、死に至るまで之くところなし。
わが士、余財なきは貨を悪(にく)むにあらず。
余命なきは寿を悪むにあらず。
令、発するの日、士卒の坐する者は涕(なみだ)、襟を霑(うる
お)し、堰臥(えんが)する者は涕、頤(あご)に交わる。
これを往くところなきに投ずれば諸ケイの勇なり。

凡爲客之道、深入則專、主人不克
掠於饒野三軍足食、謹養而勿勞、併氣積力、運兵計謀、
爲不可測
投之無所往、死且不北
死焉不得
士人盡力
兵士甚陷則不懼
無所往則固、深入則拘、不得已則鬪
是故其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信
禁祥去疑、至死無所之
吾士無餘財、非惡貨也
無餘命、非惡壽也
令發之日、士卒坐者涕霑襟、偃臥者涕交頤
投之無所往者、諸ケイ之勇也